煎言万語 vol.4
前回の更新からかなり時間が経ってしまいました。「毎日コツコツが大事」とか他人によく言ってるのですが、自分が一番できていないという・・・。
早いもので、松江で会社をつくって2年が経ちました。振り返ってみても、濃い2年間だったなと。島根に縁ができて多くの人に出会いましたし、予想もしてなかった仕事も増えました。いろいろな理由で離れた人たちもいますし、ありがたいことに近くで支えてくれている仲間も増えきています。
最近は、コロナによるパンデミックはなかったのではないかと錯覚してしまうくらい、コロナ禍前の日常が戻ってきました。松江の街中でも海外旅行者は増えましたし、マスクをしている人たちはあまり見かけなくなってきました。
思い返すと、つい最近までは日常にもいろんな制限がありました。都市封鎖を実施した国もありましたし、県を跨いで移動している人や感染者に嫌がらせがあったり、自殺に追い込まれてしまった人もいました。これだけ技術が発達しているにも関わらず、たった一つの感染症で世界中の動きが止まってしまった。人間の記憶は本当に都合がいいものだなと思ってしまいますが、そういうことがあったことすら少しずつ忘れていってしまっているように思います。
まだ思い出せることは多いのですが、4, 5年も経つともうあの時の不思議な感覚はただの思い出話になってしまうのかもしれません。そうやって少しずつ記憶の彼方に沈んでいってしまうのかもしれませんが、この2020年代前半は、少なからずわたしたちの生き方や暮らし方、家族や地域の在り方、そしてビジネスのあり方など、多くの痕跡を残していった転換期だったんだと思います。
変わってしまったことを忘れてしまう。そもそも変わったことに気がつかない。けれど、わたしたちを支える環境やシステム、そしてわたしたち一人ひとりの考え方は具体的に変わっている。そういう変化の中でかろうじて繋がっていくものを文化と呼んだり、慣習と呼んだりするのかもしれません。
先日調べ物をしていた際に、なんとなくの興味で前の会社のWEBサイトを覗いていたら、お世話になった人たちが役員に就任していたり、社名や組織体制が変わっていたりしました。懐かしさに浸りながらも、コロナの前後で自分が生きていた世界線が大きく二つに分かれてしまった気がして、少し不思議な感覚になりました。
もしあのとき、退職する選択をしなかったら、そして島根に遊びに来る選択をしなかったら、松江で「煎」という固有名を付けられた建物は存在しなかったでしょうし、煎をつくっていく過程で出会ったたくさんの人たちとは縁がないまま自分の一生は終わっていたはずです。
島根に来てから、自分でも驚くくらいたくさんの物事に名前をつけたり意味を見出したりしてきました。わたしたちの外にある自然や物、そして他者との関わりから生まれてくる物事の意味を編集し直して「名前」をつけていく仕事は、不思議な作業ですがとても楽しいです。その「名前を付け直していく行為」を少しずつ積み重ねていく中で、曖昧だった自分の輪郭も少しずつできてきたような気がします。
コロナ感染症を経て、「意味」が変わっていった名前や新しく更新された「名前」。現在進行形的に更新されていくその「名前」の変化を感じながら、少し先のことを考えて「ありそうな名前」を考える。そういう風に物語を作り替えていくこと自体に、没頭したい、熱中したい、という思いが自分をここまで連れてきたのかもしれません。