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煎言万語 vol.5

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先日、初めて神奈川の三浦海岸に行ってきた。

ここ最近、「三浦がいい」という人にたまに出会うことが多くなり、ついにはそこに住んでいるNさんが仲間になってくれることが決まったので、「これは行くしかない」と決心し、仕事のついでに行ってみることにした。

自分にとってそもそも関東は、地縁も血縁もなく、学生時代を過ごしたわけでもなく、社会人になってもたまに出張に行くぐらいの場所で、特に思い入れがあるエリアなどもない。「とにかくたくさん刺激があるところ」ぐらいのイメージしかない巨大な都市、東京。その東京の周辺部に関しては、ほぼ土地勘もないし、情報もないし、知り合いもいない。東京に住んでいる人たちが、わざわざその周辺の地域に移り住む話は、シャレおつなストーリーとして良く耳にする。

自然豊かな環境を求めて、もしくはリッチな住環境を求めて、人によっては「自分らしさ」を求めて、郊外や田舎に居を構える人たちは今までもたくさんいる。コロナ禍以降、その傾向が結局のところどうなったのかはよくわからない。島根で活動をしていると、「リモートワーク」という大義名分を手に入れた東京に住んでいる人たちと出会うことが多くなったなという実感はある。

横浜から1時間ぐらいの位置にある三浦市。人や車も多く、羽田空港からも電車一本で行ける。都心に近い静かな街。「田舎」というわけではなく、暮らし方も働き方も、都心部に住んでいる人たちとはそこまで大きく変わらなそうだ。

島根で目にする、「地域」や「地方」の現実とはかなり違うのかなと思う。一方で、団地や量産型の戸建が立ち並ぶ街並みや、空き店舗が目立つ寂れた商店街は、地方のベッドタウンで育った自分にとっては見慣れた風景でもある。

島根は過疎化による地域社会の衰退が問題で、三浦はベッドタウンの世代交代の問題。
三浦の第一印象を言葉にするとそんな感じになる。

なんらかの理由で単純に人が徐々にいなくなっていく問題なのか。価値観が年齢や時代と共に変わってしまって、家や街に求めるものが変わってしまった系の問題なのか。後者は千里ニュータウンを見学したきに見た問題だ。「近隣センター」なるものは無用の長物と化し、街の中心は高齢者が必要な機能で満たされてしまっている。

首都圏という巨大なマーケットの恩恵もあって、三浦から人がいなくなってしまうことは想像し難い。けれど、家みたいな小さな単位から街全体の設計という大きなスケールまで、構造的に疲労している感じがする。各レイヤーがそれぞれ同時に老朽化し機能不全に陥っていて、アップデートの糸口が見つからない。さらに、「首都圏」という「巨大な欲望」は、そこに住んでいる人たちから「公共」の存在を忘れさせ、個人の欲望の赴くままに自分の所有物を作り上げ、街の風景をいびつな形に変えていく。

ここでわざわざエンジニアっぽい感覚を思い出すと、改修に改修を加えた流れや構造がよくわからないスパゲッティコードみたいなもので、さっさと新しいOSやフレームワークを使ってスクラッチで書き直したくなるような感覚だ。(エンジニアっぽい)

その光景を見たときのなんとも言えない感じは、地元に帰ったときに感じる印象と似ていた。

三浦海岸駅前にはマンションが建設されるらしい。

ちなみに、三浦市は消滅可能性都市になっている。「消滅」とは一体・・・と一瞬考えてしまうが、「20~39歳の女性の数が、2010年から40年にかけて5割以下に減る自治体」のことらしい。つまり、超超高齢化社会に突入し、若い女性や子育て世帯はほぼ見かけないツラい未来が待っているコミュニティのことだ。その傾向はすでに、老人ホームや介護施設の増加として現れている。

島根県の場合は、松江市と出雲市以外の都市は全て消滅可能性都市に指定されている。これはなかなかの状況だ。別の言い方をすると、島根の西側一帯の石見地方には、家や地域の公共空間を手入れしたり、家業を継いだり、空いている場所を再生したり、新しいチャレンジをする「20代、30代の若者」や「次世代の子どもたち」は、ほとんど存在しなくなっているということになる。(この状況に逆にめっちゃ可能性を感じてしまうのは、そろそろ忘れそうなエンジニア的感覚のせいかもしれない。。。)

あくまで可能性の話ではあるけれど、これから20年先の人口動態はほぼ決まっているはずなので、ありえなさそうなディストピアを妄想しているわけではない。島根の方は「消滅」という響きは切実に響くが、都心にも近くて自然も豊かな三浦はどうなのだろうか。「消滅」という響きにどこまでのリアリティを感じているのだろうか。

そこに生きる人たちは、どうやらあまり困ってはいないらしいという話も耳にした。
けれども、その三浦で新しいチャレンジをしている人たちもいる。

その人たちには三浦はどう見えているのだろう。

次回に続く(はず)。