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煎言万語 vol.3

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ヒト、モノ、カネ。これに情報を加えると、4⼤経営資源と⾔われているらしいです。「経営資源」なんて難しい⾔葉を使わなくとも、何かを始めようと思うと、「いまの⼈間社会」の中では⽋かせないものがこの4つですよね。


例えば、友⼈とキャンプに出かけようと思った時、⾃分も含めて「誰と⾏くか」を決めない限りは始まらないですし、キャンプ道具も必要になります。そのキャンプ道具を揃えるためには、お⾦が必要です。さらに「どこに⾏くか」も決めないといけません。その時に必要なのが情報ですね。野⽣の感を頼りにして、⾏き当たりばったりでいいキャンプ場にたどり着くこともあると思います。ただ、多くの⼈は情報を検索して、それらを⽐較して、友⼈と相談して、最終的に⾏き先を決めるでしょう。キャンプに精通した知⼈から情報を仕⼊れる、ということもよくあると思います。

都会と⽥舎にはいろんな違いがありますが、こういう「経営資源」という観点で⾒ると、この4⼤経営資源の「密度」と「流動性」、「集積度」が全然違うわけです。もっと簡単にいうと、「たくさんいる」、「たくさん流れている」、「たくさんたまっている」のが都会の特徴なわけですね。


「経営資源」⽂脈で⾔うと、それは都会の⽅が有利に決まってます。誰か知らないですが、この4つを経営資源と定義しちゃったわけですから、それがたくさんあって、たくさん動いていて、技や知恵、そして経験のようなものものたくさんたまっている⽅がいいです。


その分、使われる側はヒトにせよ、モノにせよ、カネにせよ、情報にせよ、競争は激しくなると思います。選ばれる努⼒をしないといけないわけです。じゃぶじゃぶあるから何かを始めるには楽そうに⾒えますが、都会(または⼤企業)は都会でしんどいこともたくさんありますよね。

専⾨家でもなんでもないのでただの個⼈の思い込みになりますが、資本主義社会というのは、「経営資源の獲得 × 経営資源の活かし⽅(アイデアとか構想)で、資本最⼤化できるかゲーム」みたいなもんだと思ってます。そうじゃないんだ!っていくら思い込んでも、貯⾦通帳の残⾼は気になってしまうんです。増えるとうれしいですし、減るとすごく精神的に追い詰められます。

⽥舎は資本主義からは少し離れるのでそのゲーム性は低くなるものの、よっぽど鎖国したり⾃治区みたいなものを作らない限り(別の閉鎖的な経済システムを構築しない限り)、その構造から抜け出すことは難しいだろうなと思います。


なので、この「経営資源」がなさそうなところで何かを始めようとする⼈は、かなりの確率で変⼈扱いされると思います。都会の⼈から⾒ても、地元の住⺠から⾒ても、「ゲーム設定を無視する変な⼈」なんですね。バグみたいな感じです。


なぜなら、レベルを上げて魔王を倒さないといけないRPGをみんなでやってるのに、急に「畑づくり」とか始めちゃう感じですからね。「あぁ…あいつほんと空気読めねえな。」となるわけです。そして、多くの⼈は競争に負けないようにコツコツと⾃分のレベル上げをし、スキル獲得&キャリアアップ、資産形成に勤しむ訳ですね。「良い市⺠」になるというのは、そういうゲームに進んで取り組むということなのかもしれません。(⼤変そう…)


もちろん、社会は「経営モード」ばっかりで動いているわけではありません。たまたま、資本主義経済の発展にともなって「経営」的なことが優位になっちゃってる社会ですが、⽂化だったり⾃然だったり、⼈間関係だったりいろんな「資源」があるわけですからね。「資源を獲得して何かを最⼤化す
るゲーム」というゲーム設定も、別に変えちゃってもいいはずです。「文化資本を作りまくって、誰かに受け継ぐ量を最⼤化する」とかそういう問題設定もあってもいいと思います。問題はそれが社会全体の合意(幻想)になるかかもしれないですね。

資本主義経済の周辺部にある⽥舎は、そういう意味では「ゲームチェンジ可能な場所」といってもいいかもしれませんね。そういう意味で、地域発展とか地⽅創⽣とかはどうでもよくて、「ゲームチェンジできる場所」だと思えるととても楽しいんですよね。その楽しさに共感してくれる⼈、こっち側に
来てくれないかなぁ。ではでは。